幾度も開発を繰り返す東京
なんども目に映ってきたその景色の中に、
取り残された一本の樹木を見つける
瞬間、葉も花もつけていない大樹の背後で、
この都市が景色となって映えるのでした
2015.3.5
幾度も開発を繰り返す東京
なんども目に映ってきたその景色の中に、
取り残された一本の樹木を見つける
瞬間、葉も花もつけていない大樹の背後で、
この都市が景色となって映えるのでした
2015.3.5
北投は台北の中心からMRTで30〜40分ほどのところにある、もう少しいけば淡水に届く街。
駅に着くと硫黄の匂いが鼻につく温泉の街でもある。加賀屋ホテルも、あるのはここ。
そんな北投の街で4日ほどのスローライフを楽しんだ。
とはいっても日中はほとんど台北の中心部で取材やら撮影やらをこなし、
宿に戻るのは22時を過ぎてから。。。
そんな風であっても、ここでの生活はとても豊かなものでした。
その空気をつくってくれたは Solo Singer という、
温泉街の古いホテルをリノベーションしたゲストハウスがあってこそ。
オーガニック狂ではないけれど、
サツマイモの葉を練り込んだほんのり緑色したパンは味わい深く、
近くの屋台などから仕入れられる美味しいメイン(ラップサンドや潤餅、麺などなど)もとても美味しい。
そして、台湾茶と珈琲。
それだけでも1日のはじまりは十分に豊かで、喧騒から遠ざけてくれたように思う。
いうまでもなく、スタッフは皆さんあたたかく近所で過ごした友人のようでした。
まだまだ今回の台湾での滞在は続きます。しっかりと仕事とライフワークを両立させたいと思います。
そうそう、はじめて猫を撮りました。
今まで、撮ったことなかったんですよね。
《Solo Singer B&B》
台北市北投區溫泉路21巷7號
http://thesolosinger.com/ja/
時はとどまることなく、自ずから刻み続けるものですが、
ひとは時にその営みを自ら断ちます。
人との縁ってなんだろうと思う。
撮影の合間に撮った一枚は心安らぐ色。
緑という字が振れ幅の狭い色を指すように感じるので、
あまり好きではなくて。
「翠」とあてると主に新緑をいうのだとか。
新緑のように初々しい人間関係というのは、
いつかまた手に入るものなのでしょうか。
2週続けて台風が列島を横断し、
驚く程に気温が下がり出しました。
うつろひの時間はいつのまにか四季と呼ぶには短くなり、
しかし、草木が風になびくその時々には刻が止まったようでいて。
秋、間もなくです。
台風接近の中での撮影。
母が子を想い生けた花は、曇天の障子越しの薄明かりにも温かく慈愛に満ちていました。
ほぼ一年がかりで取り組んだプロジェクトが、今日、本格的に動きはじめました。
タイタン・タービンの一員として、河原尚子さん、河原司さんと一緒に取り組ませて頂いた今回のお題は、老舗のお茶屋の新業態開発。
僕らからの提案は、お茶を美味しいと感じてもらうことでした。
当たり前の提案なんですが、それができていない世の中です。ペットボトルのCMで、ペットボトルと急須で淹れたお茶に大差がないと公言してしまう世の中です。
ペットボトルのお茶が美味しくなることは大歓迎です。しかし、それは、本来のお茶の美味しさをみんなが知っていることが前提。
伝統文化とか工芸とか、たしなみとか。みんなその前提が崩れてしまっているから、おかしなことになっているわけで、、、
だからこそ「美味しいお茶を味わえるお店」を提案することにしました。
とにもかくにも、新しくも珍しくもないことを仕事として提案することはとてもチャレンジなことです。
そんなチャレンジに尚子さんと司さんと3人で取り組み、今日を迎えてふと込み上げてきたのがこの言葉。
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
新しくないものを世の中に提案し直すというのは、どこかでかの高杉晋作の言葉に通じるようです。
恥ずかしながら、まだまだ間に合ってないものが多く、いまだ陽の目をみないものもあるのですが、Needle to Leaf と名付けた店名には、「お茶の美味しさとともにある美しい暮らし」への願いが込められています。
日本だけだといいますが、例えば針のように形を整えられたお茶の葉が、人とお茶の美味しい関係をつなぎ、縫い合わせてくれたらと思うわけです。
そんなこんな、当たり前を提案してばかりの今回の仕事のの中で、唯一新しいものを提案させて頂きました。
まだ販売がはじまっていませんが、新しいお茶をクライアントと一緒になって開発。これが、かんたんで美味しくて美しいんです♪
みなさん、お楽しみに。
#Terminal81
7月発表の仕事として、京都・伊勢・阿波を巡りながら手掛けた今回の仕事は、これまでのライフワークとクライアントワークが掛け合わさったような自身にとって大きな機会となりました。
その場でしか体験できず、また気づけないことが山ほどあるわけで、その感度と嗅覚を失うことなく、これからも物語を見つけ出しながら表現していくことができればと思います。